L'Ecume des Jours
ベジフレンチ。ヘルシーでカラフル。美しいは美味しい。画像はクリックすると大きくなります☆
TITLE : 表徴の帝国

ロラン・バルト
日本料理の食前を前にすると、
色の豊かさばかりではなく、
絵筆の「タッチ」がそこに感じられる。
白米の、パンの白さなどとはまったく異なる
「緊密で粒だった白さ」には実に独特な「タッチ」があるし、
「水のようになめらかな」澄まし汁がさらに明るい「タッチ」を加えてもいる。
しかも、そんな麗しい調和を示すタブローが、食事の過程でゆるゆると
崩されて行く光景がすばらしい。
つまり、「箸」の動きが決定的に重要なのだ。
箸先をじっと見つめる。
するとそこに日本料理を解く鍵が浮かび上がるのみでなく、
日本的な「身体」のあり方までもが明らかになる。
箸はナイフやフォークとはまったくの別物だ。
食べ物の断片をそっと「つまむ」という箸に固有の機能。
これは我々のフォークを特徴づける「つかむ」働きとはまったく異なる。
フォークの乱暴さに対して箸の動きはなんと慎ましく優しいことか。
箸はフォークのように突き刺したり、切ったり、割ったり、傷つけたりはしない。
食べ物を決して「手荒に扱わず」、少しずつほぐし、崩して行く。
そして箸の持つ最も美しい機能、それは食べ物を「移動させる」ことだ。
ふわふわとしたご飯の底をスコップのように
さらって「食用の雪」を口元まで運んでくる。
その食卓の光景のうるわしさ。
母親のごとき性格を帯びた箸の一振りは、
米を乳の波と化して溢れ出させるのである。
ああ、思わず書き出してしまう〜。
前々からうすうす思っていて、たぶん一度mixiの日記にも
書いたことがあるのですが、フレンチばかりをしていると
ナイフとフォークの支配性と攻撃的な動きが苦しいなあ、
と、長い間もやもやしていたのですが、ロラン・バルトの、
この一膳の箸を手にして洩らす賛嘆の数々には胸がすく思いです。
フランス人でありながらセンシティブすぎる彼自身の弱い優しい心が
そのまま強権的な西欧的体系性からの逃走の夢とつながるくだり。
まったく異なる思想あるいは欲望のありかを、
彼は箸の優雅な動きをとおして思い描いて行きます。
先日、これを伝えたくて人と話してて、細部を忘れていたりして
うまく伝えきれず、もどかしく口惜しい思いをしたのです。キ〜。
いや、賢い人だから分ってくれたとは思うけれど、自分にキ〜。
慌てて家に帰って読み返しました。
読み応えある〜。
面白い〜。
はふー。
とても大切で大好きな本です。
ご興味のあられる方はぜひamazonで!
「表徴の帝国」てかたいタイトルですが、野崎歓氏は
「記号の帝国」と訳されています。シンプルで分りやすい感じ。
この評論を読んで思い出すのは夏目漱石の有名な講演
「現代日本の開化」の中でも上滑りの西洋模倣に追われることで、
日本人の精神構造がいかに歪んだものとなりつつあるかを
痛烈に指摘したフォークとナイフの話もあります。
これもどこかで読んだから、テキストがあると思う。
全集とかに入ってるのかな?
漱石はいいですよね。
かっこいいです。クール☆
明治の美意識。そう。美意識です。
バルトの言葉はそれはそのまま谷崎のこれでもか、と書き込まれる
美意識のつまった「陰翳礼讃」につながると思う。
はふー。
さて、打ち合わせに行ってきます。

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TITLE : 逢いたくなっちゃだめ
TITLE : 100年前の
TITLE : あれは目に自信のない女がかけるもんだよ
せっかくのきれいな目をあんなもので隠して、
その上、必要以上にあばずれに見せて、
なにがおもしろいんだろう。
サングラスをかけた女について、
このような言葉が出てきます三島由紀夫の「女神」。
初めて読んだ、三島作品が、この小説です。

女は美しくなければ一文の価値もないと信じる主人公が
彼の娘を、理想の美の化身に育て上げる執念を描いた傑作。
美しくあること。
美しく作り上げること。
その奇形ともいえる美意識に、
美しく作らなければ、価値がない。
美を作るというのは、奇形であり、高慢で支配的である。
と、ずいぶん長い間、影響されていました。歪んでいますけどね。
今もその傾向はたぶんにあるのですけれども。だがしかーし。
今は、美しいのはもちろんですが、楽しく作る、の方が重要かな〜。
私が習っていた頃のイルプルーのお菓子のように、
非の打ち所なく完璧だけれど、あまりに強烈な美意識は
許す、ということを許さなくて、息苦しいな、と、思うのです。
何をしたいかにもよるのでしょうけれど。
家庭料理には、もう少し、気持ちの余裕と、
美意識だけではない、違う集中力がいる気がします。
先日、本棚を整理していて、ひょっこり出てきたこの本を読み返し、あまりの厳しさと面白さに鞄に入れて出かけ、そのまま人に渡して帰ってきました。だってなんでかそんな話になって、鞄の中に入っていたのですもの。きっとそういう日だったのです。「いきなりこれを僕に渡してどうすんのー?」ともっともなことを言われたものの、まあ、いいのです。私もいきなり三島とか渡されたら驚くけど。てへ☆
思春期にこの本を読めて、大人になった今も、また読み返して面白く感じられて本当によかった〜。どれほど衝撃を受けたか、どれだけ面白いか、を、うまくいえなくて、もどかしいです。でも、大人になった今では、ちょっと笑ってしまったのも事実なのでした。「ぷ」て。だって。それもまた、心の余裕なのでしょう。
美に対する(美でなくても)執着や、作り上げる執念のすごみを学んだ本でもあるのです。歪んだ方向を描いているけれど、情熱と、強烈な美意識であることには変わりないのです。あと、あまりにねちねちと3ページに渡って女性美の信念を書き続けていることにも、衝撃を受けました。歪んでいる、とは、おもうけれど、でも、作るなんて、なんでも歪んでいるものですよ。なんて言うのは簡単ですが、でも、もう少し、健康でありたいです。心が。
長くなりますが、追記に、書き写します。
その上、必要以上にあばずれに見せて、
なにがおもしろいんだろう。
サングラスをかけた女について、
このような言葉が出てきます三島由紀夫の「女神」。
初めて読んだ、三島作品が、この小説です。

女は美しくなければ一文の価値もないと信じる主人公が
彼の娘を、理想の美の化身に育て上げる執念を描いた傑作。
美しくあること。
美しく作り上げること。
その奇形ともいえる美意識に、
美しく作らなければ、価値がない。
美を作るというのは、奇形であり、高慢で支配的である。
と、ずいぶん長い間、影響されていました。歪んでいますけどね。
今もその傾向はたぶんにあるのですけれども。だがしかーし。
今は、美しいのはもちろんですが、楽しく作る、の方が重要かな〜。
私が習っていた頃のイルプルーのお菓子のように、
非の打ち所なく完璧だけれど、あまりに強烈な美意識は
許す、ということを許さなくて、息苦しいな、と、思うのです。
何をしたいかにもよるのでしょうけれど。
家庭料理には、もう少し、気持ちの余裕と、
美意識だけではない、違う集中力がいる気がします。
先日、本棚を整理していて、ひょっこり出てきたこの本を読み返し、あまりの厳しさと面白さに鞄に入れて出かけ、そのまま人に渡して帰ってきました。だってなんでかそんな話になって、鞄の中に入っていたのですもの。きっとそういう日だったのです。「いきなりこれを僕に渡してどうすんのー?」ともっともなことを言われたものの、まあ、いいのです。私もいきなり三島とか渡されたら驚くけど。てへ☆
思春期にこの本を読めて、大人になった今も、また読み返して面白く感じられて本当によかった〜。どれほど衝撃を受けたか、どれだけ面白いか、を、うまくいえなくて、もどかしいです。でも、大人になった今では、ちょっと笑ってしまったのも事実なのでした。「ぷ」て。だって。それもまた、心の余裕なのでしょう。
美に対する(美でなくても)執着や、作り上げる執念のすごみを学んだ本でもあるのです。歪んだ方向を描いているけれど、情熱と、強烈な美意識であることには変わりないのです。あと、あまりにねちねちと3ページに渡って女性美の信念を書き続けていることにも、衝撃を受けました。歪んでいる、とは、おもうけれど、でも、作るなんて、なんでも歪んでいるものですよ。なんて言うのは簡単ですが、でも、もう少し、健康でありたいです。心が。
長くなりますが、追記に、書き写します。
TITLE : まずい食べ物には希望がない

立原正秋の「春の鐘」に出て来る言葉。
美に取り憑かれた男として描かれる鳴海六平太は
食べ物にも取り憑かれた男でもあると作中に描かれ、
まずい食べ物には希望がない、という言葉が出てきます。
重金敦之の著作「食の名文家たち」では、
鳴海自身が立原の影であり分身であることは
誰が読んでも容易に理解できるに違いない。
よく立原は、食通といわれ、食べ物に対する蘊蓄と
執着のすさまじさはなかば伝説的に語られている。
と、書かれます。
「春の鐘」自体を読んだのは、もうずいぶん昔で、たいした感慨もなく読み飛ばしてしまいました。私自身の知識の足りなさも、浅い感想に繋がったのでしょう。読み返そうにも手元にはなく。ちょっと惜しいことしましたね。ここで、私が好きなのは、重金敦之の著作の方です。編集者としての知識をフルに活かして、様々な文学作品をピックアップし、文学と言う切り口から食を描いたこの本は、彼自身の食の遍歴、料理への考察、経験、知識、愛情をもって著されます。食の名文家たち、と言われる小説家の豊かな言葉の他に、日本の代表的な料理人たちの言葉や姿勢、才能まで描かれており、文学だけではなく、文学史の中に於ける、作家と関わった名店やオーナー、名料理人、と言われた人達のドキュメンタリとしても十分な読み応えです。名著。「エスポアール」の話とか。吉行淳之介や遠藤周作を思い出して、めちゃめちゃ面白い。そもそも重金氏が池波正太郎の担当編集者だった、ということで信頼してしまいます。正ちゃん!どんどん焼き!銀座日記!!
さて、「春の鐘」。
中に出て来る京都は花背の「奥山荘」のモデルとなった
「美山荘」の料理について「食の名文家たち」は触れており、
前菜は若菜籠。ウコギ、ミズギボシ、トチモチ、ヒメタケノコ、春子(天魚の幼魚)、蒸しサーモン、コノコ。汁はヤマウドの白味噌仕立て。刺身は鯉、洗いにしなくても、くさみはまったくない。酢味噌ではなくワサビで。こりこりした皮の風味もいい。煮物椀は胡麻豆腐。焼き物は天魚の山椒焼き。酒と味醂と濃い口醤油を煮つめたタレで照り焼きにし、細かく叩いた山椒の葉がたっぷりとかかっている。ワラビの海苔巻きとウドの木の芽和えをはさんで、炊き合わせが穴子とイタドリ、ギボシ。天ぷらはイワナ、ツツジの花、三つ葉にヨモギなど。
野趣を洗練させると、得てして作為が勝って嫌味に堕ちるものだが、「美山荘」の料理はその三歩手前あたりで踏みとどまっている。中東は生前、「食べ物はファッションでも遊びでもなく、命の糧」とよく言っていた。中東が創案した摘み草料理はまさに花背の自然の恵みを、心して食べさせる料理だった。
野趣を洗練させると、得てして作為が勝って嫌味に堕ちる
「食べ物はファッションでも遊びでもなく、命の糧」
前振りが長くなりましたが、引用したかったのは、ここです。
読むたびに、背筋が伸びて、居住まいを正します。
摘み草料理は、特に強く、それを感じられるのだと思います。
摘み草料理は、九州では柳川の阿久根さんが有名ですね。
大人のみ。完全予約制。キャンセルはだめ。
すべて、人数に合わせて、自然を無駄にしないように
山の中に入って材料を採られるからです。
丁寧に。丁寧に。
いろいろとこのところ思うところあるもやもやがあるのですけれど
(調味料は限りなく少なくていいよねえ、とか、
手の込んだ料理と簡単な料理のバランスとか、
盛りつけが楽しいと食卓はより楽しいと思うけど思うけど
その前の段階のあれこれがむにゃむにゃ、とかとかとか)
ちょっと書きっぱなしの日記ですが、とりいそぎ。
明日も早起きなので、寝るのです。
おやすみつばち!

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TITLE : 366日誕生花の本

初版の発行日は1990年11月30日ですので、
もう15年以上前から我が家にあることになります。
いつのまにやら幾星霜。
新しいお友達や久しぶりの知人に会い、フト思い出して本棚を探してみました。
友人や自分の誕生花や、それにまつわる神話や歴史、
おとぎ話のエピソードなど、ページを繰りつつ会話も弾む
ちょっとしたカンバセーションピースです。
見たり触れたり以外にも、知って楽しむ豊かさも、植物の魅力かも。
さて、わたしは秋生まれ。
10月6日の誕生花は「はしばみ」。
花言葉は「仲直り」です。
あら。すてき。
以下は引用。
+++
はしばみは、神聖とされています。
穀物を守り、稲妻を避け、熱病を治し、家畜を悪霊から守る木。
古くは、占い棒として使われました。
また、復活祭の直前の金曜日の前夜に、この木を切り、
その枝で敵の名を唱えながら激しく打つと、どんな遠く離れた場所にいようと、
敵はのたうち回って苦しむと言われています(へ、へぇ…?ぶるぶるぶる)。
イギリスでは、この木の枝と葉で冠を作り、
頭に載せると、幸運がやって来ると信じられている。
アダムとイヴがエデンの園を追放されたとき、
神はふたりを憐れんで、はしばみの杖で水を打てば、
新しい動物が創造できるようにした、と言われています。
花占い
平和的で冷静な人。仲裁役にぴったり。
あなたに憧れている人は多いけれど、あなたは相手を観察し、
物足りない思いをしています。恋に燃える為には、冷静さを捨てる覚悟が必要。
+++
ほ、
ほほーう。
敵がのたうち回る…とのくだりが、おそろしくて気になりますが
幸運や創造など、おおむね素敵です。うれしい。
せっかくですので、しばらくリビングにこの本を置いておきましょ。
遊びにいらっしゃる方、レッスンにいらっしゃる方、
ぜひ、ご自分や大切な方のお誕生日をメモしておでかけ下さいませ。

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TITLE : 積ん読
借りたり勧められたり買ったりで、いろいろ溜まってます。
わりと読むのは早い方なのにこんなにあるのはちょっと珍しくて自分で新鮮。
読んでも読んでも本があるぞー。わほーい。喜び。
白川道/流星たちの宴
新田次郎/氷原 非情のブリザード
沢木耕太郎/人の砂漠
森枝卓士/世界お菓子紀行
小泉武夫/食に知恵あり
宮脇檀/最後の昼餐(再読。もう、ほんとにこの本、好き)
父たちよ家に帰れ
小川洋子/
シュガータイム
余白の愛
玉村豊男/
食の地平線
料理の四面体
パンとワインとおしゃべりと
森達也/
世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい
ドキュメンタリーは嘘をつく(再読)
職業欄はエスパー(再読)
穂村弘/
本当はちがうんだ日記
短歌という爆弾
にょっ記
フジモトマサル/
今日はなぞなぞの日
長めのいい部屋
あと、料理の実用書とか、いろいろ。「専門料理」とか。
他にもあるんですが、部屋中に本がある状態でちょっとようわからんです…。
種村季弘の食物漫遊記と美食倶楽部が読みたい。
まだ売ってるかなあ。
積ん読は積ん読として、いま、一生懸命読んでいるのが平野啓一朗の「一月物語」です。
せつない。内容が、ではなくて、この本が、藤山先生と約束した最後の本だからです。
読んでも、読み終わっても、もう、先生と話すことが出来ないのが悲しくて、なかなか読み進められません。ご命日が近いし、もう、もう読めるかな、読まなくちゃ、と思うもののやっぱりまだ無理かもなあ。しばらく前に友人が、なくなった方との距離の取り方が難しい、と日記に書いていました。そうです、難しいです。自分の中で整理できないと、とても難しい。整理できないのかしたくないのか、というのも、考えたくないくらいになにも整理できていません。読みますね、では、貴女が読んでから、またお話しましょう。と言って下さった約束は、実現するのは半分だけです。読みながら、いろんなことを思い出してしまう。あたたかい、優しさと知性と勇気に満ちた、美しい正しい日本語を愛された、とても巨きな先生でした。もう、最後の一冊です。読めるかなあ。

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わりと読むのは早い方なのにこんなにあるのはちょっと珍しくて自分で新鮮。
読んでも読んでも本があるぞー。わほーい。喜び。
白川道/流星たちの宴
新田次郎/氷原 非情のブリザード
沢木耕太郎/人の砂漠
森枝卓士/世界お菓子紀行
小泉武夫/食に知恵あり
宮脇檀/最後の昼餐(再読。もう、ほんとにこの本、好き)
父たちよ家に帰れ
小川洋子/
シュガータイム
余白の愛
玉村豊男/
食の地平線
料理の四面体
パンとワインとおしゃべりと
森達也/
世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい
ドキュメンタリーは嘘をつく(再読)
職業欄はエスパー(再読)
穂村弘/
本当はちがうんだ日記
短歌という爆弾
にょっ記
フジモトマサル/
今日はなぞなぞの日
長めのいい部屋
あと、料理の実用書とか、いろいろ。「専門料理」とか。
他にもあるんですが、部屋中に本がある状態でちょっとようわからんです…。
種村季弘の食物漫遊記と美食倶楽部が読みたい。
まだ売ってるかなあ。
積ん読は積ん読として、いま、一生懸命読んでいるのが平野啓一朗の「一月物語」です。
せつない。内容が、ではなくて、この本が、藤山先生と約束した最後の本だからです。
読んでも、読み終わっても、もう、先生と話すことが出来ないのが悲しくて、なかなか読み進められません。ご命日が近いし、もう、もう読めるかな、読まなくちゃ、と思うもののやっぱりまだ無理かもなあ。しばらく前に友人が、なくなった方との距離の取り方が難しい、と日記に書いていました。そうです、難しいです。自分の中で整理できないと、とても難しい。整理できないのかしたくないのか、というのも、考えたくないくらいになにも整理できていません。読みますね、では、貴女が読んでから、またお話しましょう。と言って下さった約束は、実現するのは半分だけです。読みながら、いろんなことを思い出してしまう。あたたかい、優しさと知性と勇気に満ちた、美しい正しい日本語を愛された、とても巨きな先生でした。もう、最後の一冊です。読めるかなあ。

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TITLE : SWEETS PYXIS
TITLE : THE DAVINCI CODE

まだ読んでる途中だから、あんまり書いちゃ行けないかもですが、
どうも気になってしまうので、ちょっとメモ。
面白くない訳ではないのですが、なんと言うのか、私は日本が世界に誇るサブカル、
おたくなまんがアニメ小説ゲームの世界を浴びるようにして育った世代なので、
なんというか面白いんだけどあー、コレはアレしてコレして、あれで観てコレでやった、
と知っているネタが全て詰まったような、確かにテンポもよくまとめもうまいけど
読んでて常に感じるのは、既視感なのでした。
ネタの謎解きで目新しさがないというのは、一度読んだ本をなぞるようで
「ああ、皆が言うように、もっと、その先どうなるの?!とドキドキしたいのに!!」
と、もどかしいような歯がゆいような、なんと言うかほにゃらららら。
謎とか伏線とかの多重性で言えば「ハリー・ポッター」の方が面白いな〜。
いえ、面白いですよ、読み物としては。とてもわかりやすく書いてくれて、
読んでいながらハリウッド映画を観ているような。
中巻のいちばんの驚愕の事実、で、どうもこれは同じように文庫型のテキストで
まさに同じような話を読んだことがあるーなんだっけなんだっけな???と思ったら
坂東眞砂子の「旅涯ての地」でした。こちらは日本人作家で日本国内テキストだから
きっとヴァチカンからクレームとか来なかったんでしょう。
「血と灰」が読みたいな。
ううむ。
まあいいや。
下巻まできちんと読んだら、また書きます。
あと マイ・アーキテクトは、いろいろなことを考えてしまう映画でした。
あの息子は、辛いこともあったろうなあ、あの映画を撮りながら。
でも撮って良かったんだろうなあ。お母さんとのやり取りとか、切ないわー。とか。
TITLE : スティル・ライフ
この世界がきみの為に存在すると思ってはいけない。
世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、
どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。
世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。
でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、ひとつの世界がある。
きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることが出来る。
きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、
きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて
並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過すのはずっと楽になる。
心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。
水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。
星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果が上がるだろう。
星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。
*
と言う、詩のような文章で始まる池澤夏樹の「スティル・ライフ」。
静かでゆっくりで、水のような文章でするすると最後まで速度が変わらない文章で
いつの間にか読み終えて、読み終えると気持ちが軽くきれいになった気がする、
きれいなことばで綴られています。
いろいろと、まとまらない時に、読み直す本のひとつです。
物語や言葉は、読み過してしまうものと、いつの間にか蓄積するものと
染み込むように自分の一部になるものと、あります。
清澄と緊張と叙情。
しなやかで端正。
美しい物語です。

「花を運ぶ妹」も、いいですよ。
今日は少しだけ、波の音を聴けました。
明日は、どうでしょうね。
世界はきみを入れる容器ではない。
世界ときみは、二本の木が並んで立つように、
どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。
世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。
でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、ひとつの世界がある。
きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることが出来る。
きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、
きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて
並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
二つの世界の呼応と調和がうまくいっていると、毎日を過すのはずっと楽になる。
心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。
水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。
星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果が上がるだろう。
星ではなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。
*
と言う、詩のような文章で始まる池澤夏樹の「スティル・ライフ」。
静かでゆっくりで、水のような文章でするすると最後まで速度が変わらない文章で
いつの間にか読み終えて、読み終えると気持ちが軽くきれいになった気がする、
きれいなことばで綴られています。
いろいろと、まとまらない時に、読み直す本のひとつです。
物語や言葉は、読み過してしまうものと、いつの間にか蓄積するものと
染み込むように自分の一部になるものと、あります。
清澄と緊張と叙情。
しなやかで端正。
美しい物語です。

「花を運ぶ妹」も、いいですよ。
今日は少しだけ、波の音を聴けました。
明日は、どうでしょうね。


