L'Ecume des Jours
ベジフレンチ。ヘルシーでカラフル。美しいは美味しい。画像はクリックすると大きくなります☆
TITLE : さあ、どうでしょうか。
私自身であったり、私ではない親しい友人であったり、
この人と、もう少し話がしてみたいな、と思う方であったり。
いろいろなテーマでの、どれも真剣に、重くはなくとも、
丁寧に考えて言葉を選びたい話題が平行して錯綜しています。
精度を落とさずに答えられるか、いささかチャレンジングなこの頃です。
きちんと答えたい、と思うのは、関係性を深めたい、とか、私が答えたことにどんなふうに考えて返してくれるのかその人の中のその先を知りたい、とか、単純に「天然?」とか「…パー?」と失望されたくない、とか、いろいろですね。(天然…天然は…自分で「天然です☆」と言えるほど面の皮は厚くないし、断じて認めませんが…四半世紀をとうに過ぎて幾星霜、言われに言われ続けていますので、さすがに、声高に否定はできないか…も…ううううう)
人と話す愉しみは、お互いの言葉や感覚がどう浸透して
またフィードバックされるのか、お互いのリズムを楽しむか、
ということではないでしょうか。
おしゃべりが楽しい人、聞くのが上手な人。
どちらも大切で、大好きです。
それはさておき、話題で共通しているのは、どんな人間関係でも、
お互いにどこまでわかりあえるか、と言う点を追い求めているものの、
お互いの温度差や、自分自身の、他人との距離、関係性がよくも悪くも
発展してしまった時、これまでとの差異を理解したときのスタンスや
覚悟にあるのではないのか、ということです。
うーん、そうですね。
親子、友人や恋人、仕事、知り合い、顔見知り。
わかりあう、と、一言でくくるのも乱暴ですが、わかりあう。
努力で通じることもあるし、醒めた目でどの立ち位置に自分をおくか決めるか。
とか?どの時点で、自分の希望に見切りを付けるか、というところかな。
失望するのとは違います。冷静に、理解できるかどうか。です。
傲慢な希望を抱いた自分自身に失望するのはあるかもしれませんね。
そんなときは、単純に、自分の幼さを思い知って反省して、多少拗ねても、
態勢を立て直せばいいのです。リカバリ。やり直しは効くものです。
自分勝手な希望を持って、勝手に相手に失望するのは、
本当に相手の振る舞いが心ないものでない限り、失礼ですよ。
そもそも、わかりあえる、というのが、実に幻想ではないのか、とも思います。
共感するということはもちろんあるし、理解しあえる、というのは、
一瞬の感覚で出来ることもあるし、努力して努力して実ることもあり、
素晴らしいことですが。
どうしても、決めるときは、行動するときは、最後は、ひとりです。
孤独である中に、たまに心の交流があるから、素晴らしいのだ。
わかりあえる。
わたしたちは、わかりあえるはず。
あなたのことをわかっていますよ。
あなたのためですよ。
どうでしょうね、それは。
その単純な言葉は、まるでおそろしい呪文のようです。
楽しいね、嬉しいね、美味しいね、悲しかったね、残念だったね、
なんて、共感して、共通体験が重なって信頼を築くことは可能ですが、
共感と、理解は、近いようで違うような気がしています。
わかっていますよ、なんて、そんな簡単なものでは無いでしょう。
わかるかもしれないけれど、それは、その一瞬だけかもしれません。
その一瞬が、宝物のようであるなら、それでいい。でも、
わかりあえないことをわかりあう。そのくらいの期待でいたい。
もしもわかりあえたら、わかってもらえたら、それはとても幸運です。
わかるよ、なんて言葉を言ってしまっていいくらいに、信頼して、信頼されているでしょうか。どんなに親しい人でも、その言葉をかけてしまうのは、傲慢ではないだろうか、と立ち止まって考えてしまいます。いや、たぶん、どきどきしながら、言うけど。
なんでしょう、なんか、感じ悪いかしら。
あれこれと書いていますが、孤独な時に「わかるよ」の一言が
どれだけ心を温かくするか、その大切さも知っています。
だけどその一言は、わかるよ、ということばは、とてもとても繊細で
どんなに柔らかくても、その人に対して、とても、責任のある言葉です。
そうね。
言葉でなくても、温かいスープや、優しいデザートであるかもしれません。
もうちょっと練りたいな〜。
夜の日記だから、明日の朝、見直しましょう。
ではでは。
おやすみなさい。
補足
ああ、あと、「お互いをわかりあい高めあう」幻想を持っているのは女性だ、と、穂村弘が書いていました。男性は「わかりあう」ことを求めないと言うか考えたこともほとんどない、とも。そうかも。恋愛中の「わかってくれない」という言葉はほとんど女性の口から出ますものね。
この人と、もう少し話がしてみたいな、と思う方であったり。
いろいろなテーマでの、どれも真剣に、重くはなくとも、
丁寧に考えて言葉を選びたい話題が平行して錯綜しています。
精度を落とさずに答えられるか、いささかチャレンジングなこの頃です。
きちんと答えたい、と思うのは、関係性を深めたい、とか、私が答えたことにどんなふうに考えて返してくれるのかその人の中のその先を知りたい、とか、単純に「天然?」とか「…パー?」と失望されたくない、とか、いろいろですね。(天然…天然は…自分で「天然です☆」と言えるほど面の皮は厚くないし、断じて認めませんが…四半世紀をとうに過ぎて幾星霜、言われに言われ続けていますので、さすがに、声高に否定はできないか…も…ううううう)
人と話す愉しみは、お互いの言葉や感覚がどう浸透して
またフィードバックされるのか、お互いのリズムを楽しむか、
ということではないでしょうか。
おしゃべりが楽しい人、聞くのが上手な人。
どちらも大切で、大好きです。
それはさておき、話題で共通しているのは、どんな人間関係でも、
お互いにどこまでわかりあえるか、と言う点を追い求めているものの、
お互いの温度差や、自分自身の、他人との距離、関係性がよくも悪くも
発展してしまった時、これまでとの差異を理解したときのスタンスや
覚悟にあるのではないのか、ということです。
うーん、そうですね。
親子、友人や恋人、仕事、知り合い、顔見知り。
わかりあう、と、一言でくくるのも乱暴ですが、わかりあう。
努力で通じることもあるし、醒めた目でどの立ち位置に自分をおくか決めるか。
とか?どの時点で、自分の希望に見切りを付けるか、というところかな。
失望するのとは違います。冷静に、理解できるかどうか。です。
傲慢な希望を抱いた自分自身に失望するのはあるかもしれませんね。
そんなときは、単純に、自分の幼さを思い知って反省して、多少拗ねても、
態勢を立て直せばいいのです。リカバリ。やり直しは効くものです。
自分勝手な希望を持って、勝手に相手に失望するのは、
本当に相手の振る舞いが心ないものでない限り、失礼ですよ。
そもそも、わかりあえる、というのが、実に幻想ではないのか、とも思います。
共感するということはもちろんあるし、理解しあえる、というのは、
一瞬の感覚で出来ることもあるし、努力して努力して実ることもあり、
素晴らしいことですが。
どうしても、決めるときは、行動するときは、最後は、ひとりです。
孤独である中に、たまに心の交流があるから、素晴らしいのだ。
わかりあえる。
わたしたちは、わかりあえるはず。
あなたのことをわかっていますよ。
あなたのためですよ。
どうでしょうね、それは。
その単純な言葉は、まるでおそろしい呪文のようです。
楽しいね、嬉しいね、美味しいね、悲しかったね、残念だったね、
なんて、共感して、共通体験が重なって信頼を築くことは可能ですが、
共感と、理解は、近いようで違うような気がしています。
わかっていますよ、なんて、そんな簡単なものでは無いでしょう。
わかるかもしれないけれど、それは、その一瞬だけかもしれません。
その一瞬が、宝物のようであるなら、それでいい。でも、
わかりあえないことをわかりあう。そのくらいの期待でいたい。
もしもわかりあえたら、わかってもらえたら、それはとても幸運です。
わかるよ、なんて言葉を言ってしまっていいくらいに、信頼して、信頼されているでしょうか。どんなに親しい人でも、その言葉をかけてしまうのは、傲慢ではないだろうか、と立ち止まって考えてしまいます。いや、たぶん、どきどきしながら、言うけど。
なんでしょう、なんか、感じ悪いかしら。
あれこれと書いていますが、孤独な時に「わかるよ」の一言が
どれだけ心を温かくするか、その大切さも知っています。
だけどその一言は、わかるよ、ということばは、とてもとても繊細で
どんなに柔らかくても、その人に対して、とても、責任のある言葉です。
そうね。
言葉でなくても、温かいスープや、優しいデザートであるかもしれません。
もうちょっと練りたいな〜。
夜の日記だから、明日の朝、見直しましょう。
ではでは。
おやすみなさい。
補足
ああ、あと、「お互いをわかりあい高めあう」幻想を持っているのは女性だ、と、穂村弘が書いていました。男性は「わかりあう」ことを求めないと言うか考えたこともほとんどない、とも。そうかも。恋愛中の「わかってくれない」という言葉はほとんど女性の口から出ますものね。
COMMENT
沖縄の方言で「人の話を聞いて自分にあてはまっていると思うこと」を
「うちあたい」といいます。
私はizumiさんの日記を読んで、いま「うちあたい」しています。
ありがとう。
「うちあたい」といいます。
私はizumiさんの日記を読んで、いま「うちあたい」しています。
ありがとう。
ううむ。
難しい日記にコメントをありがとうございます。
こちらも丁寧に、お返事させてください。
もう少し、お時間を下さいませ。
うちあたい。
新しい言葉を覚えました。
難しい日記にコメントをありがとうございます。
こちらも丁寧に、お返事させてください。
もう少し、お時間を下さいませ。
うちあたい。
新しい言葉を覚えました。
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昔 人間は一人ぼっちだということを教わってから(存在がというより、精神的に)時々その寂しさを忘れようとして
「わかりあう」という事を求めすぎる自分に気づくことがあります。
どんなに同じような体験をした人でも 自分と同じ気持ちを体験する事はない。。。だから分かり合えないことを嘆いたり 相手のせいにしたりするのは 違う。
確かに自分だけでは持ちきれなさそうな悲しみを 誰かに持って貰いたくなる時もあるけど。
自分に分かるのは 「みんなそうなんだ」という事を 時々思いもかけず知ることがある ということだけのような気がします。