L'Ecume des Jours
ベジフレンチ。ヘルシーでカラフル。美しいは美味しい。画像はクリックすると大きくなります☆
TITLE : あれは目に自信のない女がかけるもんだよ
せっかくのきれいな目をあんなもので隠して、
その上、必要以上にあばずれに見せて、
なにがおもしろいんだろう。
サングラスをかけた女について、
このような言葉が出てきます三島由紀夫の「女神」。
初めて読んだ、三島作品が、この小説です。

女は美しくなければ一文の価値もないと信じる主人公が
彼の娘を、理想の美の化身に育て上げる執念を描いた傑作。
美しくあること。
美しく作り上げること。
その奇形ともいえる美意識に、
美しく作らなければ、価値がない。
美を作るというのは、奇形であり、高慢で支配的である。
と、ずいぶん長い間、影響されていました。歪んでいますけどね。
今もその傾向はたぶんにあるのですけれども。だがしかーし。
今は、美しいのはもちろんですが、楽しく作る、の方が重要かな〜。
私が習っていた頃のイルプルーのお菓子のように、
非の打ち所なく完璧だけれど、あまりに強烈な美意識は
許す、ということを許さなくて、息苦しいな、と、思うのです。
何をしたいかにもよるのでしょうけれど。
家庭料理には、もう少し、気持ちの余裕と、
美意識だけではない、違う集中力がいる気がします。
先日、本棚を整理していて、ひょっこり出てきたこの本を読み返し、あまりの厳しさと面白さに鞄に入れて出かけ、そのまま人に渡して帰ってきました。だってなんでかそんな話になって、鞄の中に入っていたのですもの。きっとそういう日だったのです。「いきなりこれを僕に渡してどうすんのー?」ともっともなことを言われたものの、まあ、いいのです。私もいきなり三島とか渡されたら驚くけど。てへ☆
思春期にこの本を読めて、大人になった今も、また読み返して面白く感じられて本当によかった〜。どれほど衝撃を受けたか、どれだけ面白いか、を、うまくいえなくて、もどかしいです。でも、大人になった今では、ちょっと笑ってしまったのも事実なのでした。「ぷ」て。だって。それもまた、心の余裕なのでしょう。
美に対する(美でなくても)執着や、作り上げる執念のすごみを学んだ本でもあるのです。歪んだ方向を描いているけれど、情熱と、強烈な美意識であることには変わりないのです。あと、あまりにねちねちと3ページに渡って女性美の信念を書き続けていることにも、衝撃を受けました。歪んでいる、とは、おもうけれど、でも、作るなんて、なんでも歪んでいるものですよ。なんて言うのは簡単ですが、でも、もう少し、健康でありたいです。心が。
長くなりますが、追記に、書き写します。
+++
「それにしても、あなたには、私は魂を入れそこなったのを、悔いているんだよ。朝子には美しい顔ばかりじゃない。あらゆる教養も与えようし、内面的に誰よりも美しい女を作り出すよ。これは私の道楽だとお言いだが、一種の天職なんだから、くちばしをはさむのは、やめておくれ。」
父親の教育は厳格でしかもやさしく、行き届かぬふしとてはなかった。朝子は父親からフランス語を習い、音楽会やレコードで音楽に対する耳を養った。ピアノの練習は前々からやっていたが、父親は娘が習う曲に一々口出しをし、ごく優雅なピアノ曲しか習わせなかった。読書についても父親の選ぶ本しか読ませず、いかがわしい現代小説から遠ざけた。わかってもわからなくても、クラシックを子供の頃から読まさなければならぬ。朝子はやがて「更級日記」をあてがわれ、「クレエヴの奥方」をあてがわれた。頭ばかりが発達して、男っぽくなることを避けるために、政治や経済に関するどんな関心からも遠ざけた。茶道と古風な華道は習わせたが、長唄や日本舞踊は、卑俗な文句が好ましくないので、習わせなかった。歌舞伎や能にもしばしば連れて行き、見どころ聴きどころをつぶさに説明して聞かせた。流行語を学校で覚えて来ると、周伍は叱って、片っぱしから匡正した。美術の鑑賞はなおざりにされた。なぜなら完全な美術品たる女性が、他の美術品を鑑賞するなどとはおかしなことだからである。第一周伍の信念に従えば、女は美を客観的に純粋に見ることなどはできず、美術のパトロンたるには不適任であった。たとえば美しい女性は、ゲインズボロウのようなロイヤル・アカデミーの明快な美をみとめることができれば足り、ピカソの「ゲルニカ」などに感心するようでは、魅力が半減するのである。
美に対する女性の感受性は、凡庸でなければならなかった。機関車を美しいとおもうようでは女もおしまいである。女にはまた、一定数の怖ろしいものがなければならず、蛇とか毛虫とか船酔いとか怪談とか、そういうものは心底から怖がらなければならぬ。夕陽とか菫の花とか風鈴とか美しい小鳥とか、そういう凡庸な美に対する飽くことのない傾倒が、女性を真に魅力あるものにするのである。そして茶室や茶庭や能や歌舞伎に関する一通りの教養は、将来外国人と付合う場合に恥ずかしくないように、という周伍の配慮であった。
だから周伍は、娘が小説を読みすぎることをも警戒し、小説に溺れたロマネスクな女になることを戒めた。ロマネスクな感情を持った女は、決して現実の幸福に満足しなくなるからだし、もっと悪くすれば、わが身の不幸を享楽して生きるようになるからである。
いつも現実が魅力をたたえて、彼女の目に映るように、周伍は娘にスポーツを奨励した。テニスや水泳やバレーボールのような軽いスポーツ。もっぱら体を美しくし、精神をいきいきとさせるためのスポーツ。だから決して、右手が左手よりも長くなってしまうほどテニスに熱中してはいけない。要はどうころんでも、選手になったりしないことである。周伍には、オリンピックの女流選手というものは、どうしてもグロテスクな存在としかおもえなかった。
女性の美しさについて、近来やかましくいわれる個性美というものを、周伍はあんまり信用していなかった。なにも人形のような美だけが美しいというのではないが、個性美は飽きの来るものである。もっとも大切なのは優雅だ。女の個性が優雅をはみ出すと大てい化物になってしまう。一芸に秀でることはもっとも禁物だった。美というものは本来微妙な均衡の上にしか成立しないものだから。
周伍がもっとも苦心を払ったのは、ほんの二言三言言葉を交わしてその場を立ったのちも、香水の薫りのようにその女の雰囲気があとに漂う、そういういいしれぬ雰囲気を朝子に賦与することだった。「喋りすぎてはいけないよ」といつも言いきかせた。「物事を説明しようとかかってはいけない。過度の言葉ほど幻想をやぶるものはないんだから」
+++
優雅以降のくだりは、そのまま、今、料理にも言えるのだなあ、
と、おもいつつ読んでいたのでした。
これだけ、と限定されたことではない美意識です。
ああ、うまく書けない。もどかしい〜。
しかしところどころ、ぷ。と吹き出したのは
私が大人になったからでしょう。
またあとで。
今度。

クリックよろしくお願いします☆
その上、必要以上にあばずれに見せて、
なにがおもしろいんだろう。
サングラスをかけた女について、
このような言葉が出てきます三島由紀夫の「女神」。
初めて読んだ、三島作品が、この小説です。

女は美しくなければ一文の価値もないと信じる主人公が
彼の娘を、理想の美の化身に育て上げる執念を描いた傑作。
美しくあること。
美しく作り上げること。
その奇形ともいえる美意識に、
美しく作らなければ、価値がない。
美を作るというのは、奇形であり、高慢で支配的である。
と、ずいぶん長い間、影響されていました。歪んでいますけどね。
今もその傾向はたぶんにあるのですけれども。だがしかーし。
今は、美しいのはもちろんですが、楽しく作る、の方が重要かな〜。
私が習っていた頃のイルプルーのお菓子のように、
非の打ち所なく完璧だけれど、あまりに強烈な美意識は
許す、ということを許さなくて、息苦しいな、と、思うのです。
何をしたいかにもよるのでしょうけれど。
家庭料理には、もう少し、気持ちの余裕と、
美意識だけではない、違う集中力がいる気がします。
先日、本棚を整理していて、ひょっこり出てきたこの本を読み返し、あまりの厳しさと面白さに鞄に入れて出かけ、そのまま人に渡して帰ってきました。だってなんでかそんな話になって、鞄の中に入っていたのですもの。きっとそういう日だったのです。「いきなりこれを僕に渡してどうすんのー?」ともっともなことを言われたものの、まあ、いいのです。私もいきなり三島とか渡されたら驚くけど。てへ☆
思春期にこの本を読めて、大人になった今も、また読み返して面白く感じられて本当によかった〜。どれほど衝撃を受けたか、どれだけ面白いか、を、うまくいえなくて、もどかしいです。でも、大人になった今では、ちょっと笑ってしまったのも事実なのでした。「ぷ」て。だって。それもまた、心の余裕なのでしょう。
美に対する(美でなくても)執着や、作り上げる執念のすごみを学んだ本でもあるのです。歪んだ方向を描いているけれど、情熱と、強烈な美意識であることには変わりないのです。あと、あまりにねちねちと3ページに渡って女性美の信念を書き続けていることにも、衝撃を受けました。歪んでいる、とは、おもうけれど、でも、作るなんて、なんでも歪んでいるものですよ。なんて言うのは簡単ですが、でも、もう少し、健康でありたいです。心が。
長くなりますが、追記に、書き写します。
+++
「それにしても、あなたには、私は魂を入れそこなったのを、悔いているんだよ。朝子には美しい顔ばかりじゃない。あらゆる教養も与えようし、内面的に誰よりも美しい女を作り出すよ。これは私の道楽だとお言いだが、一種の天職なんだから、くちばしをはさむのは、やめておくれ。」
父親の教育は厳格でしかもやさしく、行き届かぬふしとてはなかった。朝子は父親からフランス語を習い、音楽会やレコードで音楽に対する耳を養った。ピアノの練習は前々からやっていたが、父親は娘が習う曲に一々口出しをし、ごく優雅なピアノ曲しか習わせなかった。読書についても父親の選ぶ本しか読ませず、いかがわしい現代小説から遠ざけた。わかってもわからなくても、クラシックを子供の頃から読まさなければならぬ。朝子はやがて「更級日記」をあてがわれ、「クレエヴの奥方」をあてがわれた。頭ばかりが発達して、男っぽくなることを避けるために、政治や経済に関するどんな関心からも遠ざけた。茶道と古風な華道は習わせたが、長唄や日本舞踊は、卑俗な文句が好ましくないので、習わせなかった。歌舞伎や能にもしばしば連れて行き、見どころ聴きどころをつぶさに説明して聞かせた。流行語を学校で覚えて来ると、周伍は叱って、片っぱしから匡正した。美術の鑑賞はなおざりにされた。なぜなら完全な美術品たる女性が、他の美術品を鑑賞するなどとはおかしなことだからである。第一周伍の信念に従えば、女は美を客観的に純粋に見ることなどはできず、美術のパトロンたるには不適任であった。たとえば美しい女性は、ゲインズボロウのようなロイヤル・アカデミーの明快な美をみとめることができれば足り、ピカソの「ゲルニカ」などに感心するようでは、魅力が半減するのである。
美に対する女性の感受性は、凡庸でなければならなかった。機関車を美しいとおもうようでは女もおしまいである。女にはまた、一定数の怖ろしいものがなければならず、蛇とか毛虫とか船酔いとか怪談とか、そういうものは心底から怖がらなければならぬ。夕陽とか菫の花とか風鈴とか美しい小鳥とか、そういう凡庸な美に対する飽くことのない傾倒が、女性を真に魅力あるものにするのである。そして茶室や茶庭や能や歌舞伎に関する一通りの教養は、将来外国人と付合う場合に恥ずかしくないように、という周伍の配慮であった。
だから周伍は、娘が小説を読みすぎることをも警戒し、小説に溺れたロマネスクな女になることを戒めた。ロマネスクな感情を持った女は、決して現実の幸福に満足しなくなるからだし、もっと悪くすれば、わが身の不幸を享楽して生きるようになるからである。
いつも現実が魅力をたたえて、彼女の目に映るように、周伍は娘にスポーツを奨励した。テニスや水泳やバレーボールのような軽いスポーツ。もっぱら体を美しくし、精神をいきいきとさせるためのスポーツ。だから決して、右手が左手よりも長くなってしまうほどテニスに熱中してはいけない。要はどうころんでも、選手になったりしないことである。周伍には、オリンピックの女流選手というものは、どうしてもグロテスクな存在としかおもえなかった。
女性の美しさについて、近来やかましくいわれる個性美というものを、周伍はあんまり信用していなかった。なにも人形のような美だけが美しいというのではないが、個性美は飽きの来るものである。もっとも大切なのは優雅だ。女の個性が優雅をはみ出すと大てい化物になってしまう。一芸に秀でることはもっとも禁物だった。美というものは本来微妙な均衡の上にしか成立しないものだから。
周伍がもっとも苦心を払ったのは、ほんの二言三言言葉を交わしてその場を立ったのちも、香水の薫りのようにその女の雰囲気があとに漂う、そういういいしれぬ雰囲気を朝子に賦与することだった。「喋りすぎてはいけないよ」といつも言いきかせた。「物事を説明しようとかかってはいけない。過度の言葉ほど幻想をやぶるものはないんだから」
+++
優雅以降のくだりは、そのまま、今、料理にも言えるのだなあ、
と、おもいつつ読んでいたのでした。
これだけ、と限定されたことではない美意識です。
ああ、うまく書けない。もどかしい〜。
しかしところどころ、ぷ。と吹き出したのは
私が大人になったからでしょう。
またあとで。
今度。

クリックよろしくお願いします☆
COMMENT
ワタシに言わせればこの娘の名前を朝子にした時点で三島の美意識を疑う(笑)
carinaさま
え、ええええええええー?!
だいさま
そうですか?
え、ええええええええー?!
だいさま
そうですか?
清々しくて若い、綺麗なお名前だと思われますが。朝子。
asako という響きも明確ではっきりしているし。
友達の娘が一文字で「朝」(あさ)です。
やっぱかわいいよ。
asako という響きも明確ではっきりしているし。
友達の娘が一文字で「朝」(あさ)です。
やっぱかわいいよ。
これを書き写すizumiちゃんの美意識と執念にも脱帽しますが。私も上の二人よろしく、ロマネスクって私?って思ったり、朝子って似合わないじゃん。って思ったりしました。
私も、この全文を読んでみたいなあーと思ってしまいました。忙しい時に限って、本が読みたくなるのは、現実逃避なのでしょうけども。。テスト期間中って、絶対本が読みたくなった!(笑)
私も、この全文を読んでみたいなあーと思ってしまいました。忙しい時に限って、本が読みたくなるのは、現実逃避なのでしょうけども。。テスト期間中って、絶対本が読みたくなった!(笑)
うふ。
こんな長文書き写してて、自分でもイタいわね☆と思ったのよう。ロマネスクは、そうね、思い当たるふしのある女子は多いかもしれないね。でも、ねえ、ロマネスクのない美意識はつまらないものですよ。全文、おすすめ。中編だから、すぐ読めるよー。
テスト期間中は読書とお手紙と掃除の時期なのよう!
こんな長文書き写してて、自分でもイタいわね☆と思ったのよう。ロマネスクは、そうね、思い当たるふしのある女子は多いかもしれないね。でも、ねえ、ロマネスクのない美意識はつまらないものですよ。全文、おすすめ。中編だから、すぐ読めるよー。
テスト期間中は読書とお手紙と掃除の時期なのよう!
重たい小説ですねー。
20代半ばまでは重たい小説とか映画とか好んで見ていましたが、今やこの長さを読むだけで限界が来てしまいます。
ぷっと吹き出して大人になったなと思っているところに(良い意味で)若さと感受性を感じてしまいました。
私の感受性はどこに消え去ったのだろう?
20代半ばまでは重たい小説とか映画とか好んで見ていましたが、今やこの長さを読むだけで限界が来てしまいます。
ぷっと吹き出して大人になったなと思っているところに(良い意味で)若さと感受性を感じてしまいました。
私の感受性はどこに消え去ったのだろう?
クリ様クリ様、いかがされましたか。
クリ様がジェダイで私がパダワンで教わることたくさんなのにー。ダッチオーブンで、楽しいひとときを過ごして亮の感受性を美味しいもので磨きましょうよ!ぴっかぴかに!!
クリ様がジェダイで私がパダワンで教わることたくさんなのにー。ダッチオーブンで、楽しいひとときを過ごして亮の感受性を美味しいもので磨きましょうよ!ぴっかぴかに!!
いやー、私は昔考えていたことを喋っているだけですよ。小説は10年以上読んでないような気がする。。。映画もパイレーツオブカリビアンとかを喜んでみています。
美味しいものを食べる情熱だけはまだまだありますけど。
美味しいものを食べる情熱だけはまだまだありますけど。
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自分は「ロマネスクな女」なのかもと、怖くなりました。
「決して現実の幸福に満足しなくなるからだし、もっと悪くすれば、わが身の不幸を享楽して生きるようになるからである」
え、ええええええっ?